脳内ヴィジュアル系

好きなもの(主に音楽)への想いや出来事を、後日見返すための記録用として書いてます。

【V系よもやま話】0.1gの誤算「必殺!からくり七変化!」が名曲すぎて夜な夜なわたしの情緒が振り回されて大変だよ、という話。

こんばんは。

前々回のブログで0.1gの誤算にハマりかけているかも...と書きましたが、この0.1gの誤算というバンドの楽曲「必殺!からくり七変化!」が好きすぎてここ1ヶ月くらいずっと寝る前毎日聴いてます(CDは持ってないのでサブスクか公式YouTubeで)。

実はこの曲、聴くとすごく精神的なアップダウンが激しくなってしんどいのですが、でも好きな曲だからまた聴きたくなるし聴いたら聴いたで精神的にドッと疲れるし、ほなどないせえっちゅうねん...ということで、今後も楽しくこの曲と付き合っていくために、この曲に対する自分の気持ちを整理してみようと思い立ち、感想などを文字起こししてみました...というのが今回の投稿の趣旨です。

ではまず楽曲の基本情報から...

早速ですが、こちらがMVです↓
https://youtu.be/yW0YZ4iDtko

この、バンド公式YouTubeチャンネルにて現在公開中の「必殺!からくり七変化!」LIVE PV(実質MV)の概要に載っている情報によると、この曲は2016年8月3日リリースの2ndシングルのタイトル曲だそうです。バンドは2015年12月末からシークレットで活動を始め、2016年3月24日原宿ルイードK4で本格始動ワンマンLIVEをやっているので、割りと初期の頃の作品ということですね。

この曲を翻訳すると『子供の頃は夏休みがあったからいつも夏が待ち遠しかったね。社会人になったら夏は暑いだけの季節でつまんないね。そして仕事に追われる日々の中、夏休みだけじゃなくてどんどん大切なものを失っている気がするね。気の知れた仲間と過ごした夏休みが懐かしい。あの頃に戻りたいし、また夢を追いかけたりしたいし、もっとワクワクドキドキしながら生きて死にたいぜ!』てことですよね多分。

それを踏まえた上で、この曲に関して好きすぎるポイントをいくつか思い浮かべ、メモ帳に書き込んではいたたまれない気持ちになって消す...という作業を1週間くらいずっと繰り返しやってましたが、曲のよさを語るにあたって、どうしても『陽キャの青春を歌ったこの曲が、何故陰キャのわたしの胸を打つのか』という点が避けて通れなかったので、それを中心に文章を書くことにしました(そしたらまあまあ話がまとまりました)。何かを説明するにあたって他のアーティストさんの名前を出すこともありますが、何かを上げるために他を下げているつもりはありません。ご了承下さい。


いきなり自分語りで申し訳ないのですが、わたしは幼少期からバリバリの陰キャゆえ『学生時代にいつもの仲間と過ごした楽しい夏休みの思い出』とか『キラキラした青春を学生時代に過ごした』という記憶がほぼありません。学生時代、誰かと外で遊ぶことより一人で音楽を聴いたり音楽雑誌を隅々まで熟読するのが好きな子供だったし(まあ今も基本的にはそうですが)、大人になってからの方が好きなライブに沢山行けるなど自由度が上がったと思ってますし、何より子供の頃のほうがひねくれていて今の方が割りと素直に生きている実感があるので『子供の頃に戻りたい』『あの日に帰りたい』という強い衝動とかエモーションがありません。若い頃の方が無知ゆえに色んな無茶が可能だったし無敵だったなあ...というのは分かりますけどだからと言ってあの頃に戻りたいと思うことはないですね。

なので、この曲に共感する要素なんてどこにもないはずなのに、この曲を聴くと自然と主人公の感情に乗っ取られてしまい、気付けば記憶を捏造してノスタルジーに浸り『ああ...子供の頃の楽しかった夏休み...懐かしいなあ...戻りたい...仲間とはっちゃけたい...』と一人明後日の方向を見ながら静かに胸を熱くしています。そしてぐわぁーっと切なさが一気に押し寄せて、なす術もなくそれらに圧し潰されてしまいます。たぶんMVのせいもあるのでしょう。文字がズンズンと迫ってくるあの感じが、そうさせるのかもしれません(MVも沢山視聴したので、MVの映像が脳内に刷り込まれている気はします)。曲の勢いに飲み込まれて、情緒をぐちゃぐちゃにかき回されてしまうのです。

感情を揺さぶられる曲って、いかにその曲に『共感』できるかだと思うのですが、その『共感』には2種類あるとわたしは思っています。1つは『自分に似たような経験はないけどその歌詞をひとつの物語として受け入れ、その物語が表現している世界を分析したり読み解くことが可能であり、そこに自分の想いを重ねることができる』という共感で、もう1つは『自分も似たような経験があるので歌詞の気持ちが自分のことのように理解できるし、すごく欲しかった言葉なので刺さりまくってつらい&激しく同意するしかない』という共感です。

前者は観賞における共感、後者は実体験に基づく共感、と呼べば分かりやすいかもしれません。

例えば、最近わたしはひょんなキッカケで少年隊の楽曲にハマっているのですが、少年隊の楽曲はわたしにとっては前者です(千年メドレーはちょっと違うけど)。良質な映画を見て『このシーンが素敵だったね!』『このセリフをこのキャラが言うとかまじ最高』等の感想を持つ...というのが私にとっての少年隊の楽曲のポジションです。ミュージカルを見ている感じといいますか。演じている姿を楽しむエンタメです。MALICE MIZERもそうですね。「月下の夜想曲」を聴いて『わたしもこんな経験ある~!だからこの曲まじですげー刺さるわ!』ていう人はほぼいないでしょう。いや、居るのかもしれませんが森の近くに住んでる人とか、霊感が強い人に限られる気がしますし、製作者側もそういう感想は求めてないでしょうね。

わたしにとって少年隊もMALICE MIZERも、音楽を聴いて美しい情景を思い浮かべてそれを楽しむことができる観賞用の音楽ということです。作り手からは『この世界観を楽しんで下さい』というメッセージを発信していて、受け手側はその世界観に浸る...という楽しみ方ですね。

たとえば少年隊の「stripe blue」はド頭の“天気雨♪”の歌い出しからもう空の情景が見えてくるし(天気雨という不安定な単語とあの頃の東山さんの不安定な声がリンクしすぎて一気に歌が立体的になり情景が脳内に鮮やかに再現されるのですよね当時この曲の歌割り考えたひとまじ天才かよ)、MALICE MIZERの「au revoir」は秋の曲ですけどそんなに秋っぽさを歌詞で主張してないのに(1番にちょろっと出てくるくらい)、曲全体からすごく秋の情景が思い浮かぶじゃないですかあのバイオリンの音色とかもの悲しいメロディーとか。それで『はぁ...美しい...』とうっとりする、そういう共感ですよね。美しいものに触れて素直に美しいと認める、わたしもそう思いますよっていう意思表示としての共感ですね。

他者を他者として観賞する楽しみ方であって、自分の身に置き換えて共感するタイプの楽しみ方ではないのですが、それもアリですよね。どっちが優れてるとかじゃなくて、文化が違うって言うんですかね。世界観を作り込んでるアーティストさんはこの傾向が強い気がします。すんごい質のいいエンタメを見せてもらってる感覚といいますか。少年隊、MALICE MIZERはもちろん、あとはキャラになりきり系かつ別世界がコンセプトのバンド(Da’vidノ使徒:aLとかAliene Ma'riage)はここに部類される気がします。特撮(オーケンさんのバンド)もどちらかというとこっちかな。

で、その後者こと『実体験に基づく共感』はV系に限らずバンドが作る曲に多いですわたしにとっては。だからそれゆえわたしはバンギャなのですが。いつも自分が感じてるあのもどかしさをこんな風に表現できるんだすごいな、というのはこっちですね(ちなみに千年メドレーはこっちです)。

10代の頃のわたしは有村竜太郎さんが『本当の気持ちじゃないならどんなことももうしないでよ』と歌えば布団に突っ伏して床にガンガン頭を打つほど頷き、アラサーになると逹瑯さんの歌う『汚れを知らぬ純粋無垢が尊いだなんて嘘だろ』という歌詞に「ですよねー!!」と全力でエアリプを飛ばしまくる...という感じです。

逆に、わたしがキラキラのアイドルソングに胸をときめかせたり、こんなセリフ言われたい!こんなシチュエーションに憧れる!てなったらわたしはアイドルの追っかけになってたのでしょうね。そういうことです。

で、誤算の「必殺技!からくり七変化!」はこの前者と後者のブレンドかなあ、どっちの要素もあるなあ私にとっては...と思っています。自分には1㎜も共感するところがない話なのに、聴いてる間は曲の世界を体験して、当事者になって共感してるんですよね。楽曲の吸引力で、楽曲の世界に無理矢理引きずり込まれて、目まぐるしく展開してゆく音の渦(イメージ的には夏フェスのサークルモッシュ)のなかで情緒をぐっちゃぐちゃにされて、身も心もボロボロになって自分と他者の境界線があいまいになって、他者の記憶やら感情が侵入してきて全身で打ちのめされて共感せざるを得なくなる果てしなくしんどい曲...ていう感じですかね(なんだそれこわすぎる洗脳みたいだな)。

自分にとっては1㎜も共感するところがない、というのは先程書いたように、わたしに『学生時代にパリピな夏の思い出がないから』ていうのもありますが、この歌詞がわりと超個人的な思い出話だから、というのも理由のひとつかもしれません。特にBメロが顕著ですよね。

Bメロはとりあえず目につくものを次々口に出しているような散文的な歌詞ですが、これって超個人的すぎる記憶の断片の寄せ集めだと思うのです(この曲のカオス感が増しているのはこのBメロのせいかも)。1番のBメロは夏休みの宿題でもしてるのかな?丸暗記を頑張っているシチュエーションなのかな?...と思いますし2番のBメロは中華料理の外食をしたあとお祭へ行って屋台を見て回っているのかな...と思わせてくれます(でも汁なし担々麺がどうして冷たいのか、元々冷たい料理なのかは謎だしまあ全てが謎ですよね)。

過去と現在の視点が交差して混ざってカオスになって、ここの無秩序感の印象が強烈で、その後に来るサビの解放感がきもちいいですね。Bメロは目に映る情景を次々と並べているので視覚に訴え掛けていて、サビは感情の撒き散らしなので感情に訴え掛けている...という静⇒動の構成ゆえのきもちよさなのかもしれません。

Bメロの歌詞は先ほど散文的と書きましたが、まるで他人の日記を勝手に読んでいるような感覚になります。第三者が閲覧可能なブログとか自己顕示欲の塊&見せびらかし用のSNS的表現ではなくて、何の飾り気もない、匂わせもない、自分の記憶をただ思い付くまま書き殴ってるだけの散漫なメモ書きで、後から読み返して意味がわからくなるタイプの文章ですね。そんな『誰かの超プライベートな日記』なのに、わたしは一切関与していないアカの他人の物語なのに、自分にとってすごく大切な夏休みの思い出の1ページを見返しているような気持ちになるんですよねこの曲を聴くとね。

はあ、なにこの感情。
おしえて心理学に詳しいひと。
このノスタルジーはなんなの。全然懐かしくないのにノスタルジー。でもデジャヴではないっていう。

この曲に対してこんな感情を持つということは、わたし自身の潜在的な願望の現れなのかもしれません。だとしたら、わたしはまあまあ痛いヤツかもしれんな...いい年してこんな10代の若気の至りだからこそ許されそうな歌詞にシンパシーを感じるとかあかんよね...てなりますね(ちょっと落ち込む)。

でも『この曲を聴いたらいつでも若い頃の気持ちに戻れる』みたいな曲ってたぶん誰にでもありますよね?そういう曲って、1つや2つくらいあってもいいですよね?恋愛ソングだったらそういうの、あるあるなのかもしれないけど(この曲を聴くと当時すきだった人を思い出す、あの頃の胸キュンな気持ちに戻れる的なやつ)、わたしはそんな気持ちを非恋愛ソングに重ねているだけっていうことでいいですよね?

青春の使い方は人それぞれなんだから、まあいいよね...うん、いいことにしよう...(勝手に落ち込んで勝手に立ち直る自己完結型のオタク)。

だって染みるんですよね歌詞が。
とにかく歌詞がいい。泣けてくる。
鳥肌が立ちすぎて、全身をかきむしりたくなります。一行ずつ解説したいくらい刺さります。楽曲の持ち味である切なさに(曲自体はハチャメチャだけど切なさが根底にあるのは終始変わらない)、押し流されて、心が削られてボロボロになります。聴いてると泣きたくなる曲がバラードとは限らんのですよ。

この曲を聴いてるときの心理状態って顔は泣きながら、声は笑いながら、体は全力疾走してる...っていうイメージですね(それってただのヤバいやつじゃん)。

わたしは基本的に『あの頃に戻りたい』ていう願望は一切ない(子供の頃のほうが窮屈だったから)ので、こういう話を聞くと『へえ、そうなんだー』としか思えなくてシラフの頭なら共感ゼロですが、こういう自分の力ではどうにもならない切なさ、やるせなさは感じたことあるので、自分の身に起こることとして理解もできます。だから『主人公の気持ちに対して1mmも共感できないけど理解は可能。でもわたしの中で“わかる”と“ワカラン”が交互に現れては消え、気持ちが引き裂かれてしんどい。わたしが2つに割れそうだし思考があっちこっちに飛ぶ。でもこのモッシュ感がたのしい。頭の中がずっとモッシュ状態。ライブ感がすごい』というのが、この曲を聴けば聴くほどしんどくなるけど聴きたくなる理由なのかもしれませんね。ある意味ランナーズハイみたいになってくるというか...リスナーズハイ?(そんな言葉はたぶんない)。

つらいときに寄り添ってくれる曲って、わたしにとってはこういう曲なんだな...としみじみ思いました。“わかる”と“ワカラン”を両方同時にくれるものが好き。広範囲な意味で、好き。意識を飛ばしてくれる曲が好き。ついでに疲れも飛ばしてくれ...たら嬉しいけど、むしろ疲れてるけど、どうせ疲れるなら楽しいことをして疲れるほうがいいじゃないですか。だからこれはいわゆる“実質0キロカロリー”“実質無料”みたいな話ですよ。プライスレスですよ。この曲、最後の歌詞が『全身全霊死ぬまで騒げ』で終わるのとかめちゃくちゃ最高じゃないですか...あんだけ“あの日に帰りたいオーラ”出しまくって弱音吐いてたのにさ...はあ...かっこいい...すきだ...も、もう1回だけ聴いて寝よう...(こうやって結局リピして夜更かしするハメになる)

こんな素敵な曲をこの世に産み出して下さった作詞作曲者の緑川さん、そして誤算の皆様ありがとうございます...🙏

 

とりとめのない文章になってしまいましたが、あと最後に、個人的にこの曲の好きなポイントをいくつか上げておきますね。

この曲は『聴かせる』と『暴れる』の両方の要素が入ってて楽しいです。一般的に暴れる曲って歌詞にさほど意味がないものが多いけど(暴れることがメインなので別にそれでいいんだけど)ちゃんと暴れられるのにめちゃくちゃ切ない曲なので1粒で2度おいしい、みたいな感じになってます。素晴らしいですね!!

そして途中で盆踊りみたいな振り付けのとこ、可愛くて胸キュンです。MVを見るとメンバーみんな演奏の手を止めて振りをやってますよね?ファアア...最高な眺めですね絶景だね...楽器隊の演奏が再開する瞬間もたまらなく好き...この構成考えたひと(緑川さんかな?)ありがとうございます...

最後アウトロで、ダメ押しで転調するとこ最高ですね。あそこ転調する意味ある?はあタマラン...そういうとこすきです。

あと、タイトルが何故このタイトルなの?コロチュンピって誰?という疑問は胸に秘めておきましょうかね...何かのインタビュー記事で語ってたら読みたいので教えて下さい(探し方がへたくそすぎて見つけられない情報弱者それはわたし)。


いわゆるプロの作曲家&作詞家が作った楽曲も素晴らしいですよ。やっぱさすがプロの仕事だよなーって思いますもん。曲を聴いてると美しい情景が目に浮かびますし、言葉とメロディーで構成されてる秩序ある世界、素晴らしいですよね。でも言葉とメロディーで作られたカオスな世界も好きなんですよ。大好きです。これからしばらく1日の仕事やら家事やらを終えてファアア...疲れたなあ...と思ったときは『必殺!からくり七変化!』に励ましてもらうことにします。

では、長々と失礼しました。

 

※文中にある、バンド結成時期および本格始動の時期についてのソースは以下※
https://toretame.jp/during-even-the-increasingly-popular-while-half-a-year-from-the-full-scale-start-up-miscalculation-of-0-1g-members-popular-music-introduction.html/2

https://twitter.com/0153_daisuke/status/679982877786832896?t=EWsWsrxDqEQuh5UFQ8ws2Q&s=19
https://youtu.be/yW0YZ4iDtko