【映画】すみっコぐらし劇場版第2段の感想文など(1)

先日、2021年11月5日(金)に公開されたすみっコぐらしの映画第2段『映画すみっコぐらし 青い月夜のまほうのコ』を見に行ってきました。前作の映画ですみっコぐらしのファンになったため、今作の公開をとても楽しみにしていました。

見終わったあとに色々と考えさせられる、とても味わい深い映画でした。確かに前作のほうがショッキングでインパクトが大きかった印象はあります。今作はすみっコたちの日常生活が話のベースになっているため、見終わった直後は地味に纏まっているようにも感じられましたが、あとからじわじわと込み上げてくるものがあり、『今作もいいぞ!!』という思いを込めて、忘れないうちに熱い想いを書き残したくなり、文章にまとめてみました。

(前作とはテイストが全く違うのですが、比べてしまうのは仕方のないことだとも思ってます。某SNSでも書きましたが、例えて言うならすみっコの前作と今作の映画はXのアルバム『BLUE BLOOD』と『Jealously』ぐらい違うぞ!と思ってます。)

色々と書きたいことが沢山あるのですが、文章が長くなったのでテーマごとに分けてUPすることにします。ちなみに、主に印象に残っている『魔法使いのこと』『とんかつの魅力について』『すみっコたちのアイデンティティーのこと』について、ちまちまと書いてはUPしていく予定です。

なお、この文章はすみっコぐらしの設定が分かっていることを前提に書いており、映画第2段のネタバレを大いに含みます。予めご了承下さい。まずは魔法使いたちのことから...↓




■印象的だったこと  その1  ■

~魔法使いたちのこと~


話の中で、魔法使いは魔法で何でも叶うから夢がない、という内容のナレーションが流れます。それを聞いて私は思わず『ディズニーランドやんけ!』と思ってしまいました。

ディズニーランドとは、東京の公式が『夢と魔法の王国』と自らのことを称している、あの巨大テーマパークのことです。そして『世界に想像力がある限り、ディズニーランドは完成しません』という創業者の有名なセリフがあります。ディズニーランドには無限の可能性があるぜ!ということを仰っているのでしょうが、つまりそれは『ディズニーランドが完成するとき、それは世界から想像力が消えるときである』とも言っているのです(という話を大学の講義で聞いて、今でもずっとトラウマのように覚えてます)。

魔法使いたちの住む世界はおそらく、完成されたディズニーランドのような世界なのでしょう。魔法で何でもやりたいことが叶ってしまいます。『これをしたい』という欲望だけがあって、それはあっという間に魔法で叶うので夢も想像力もないけど、魔法使いの兄弟たちはとても楽しそうです。それは、自由自在に魔法が使えるから楽しいのかなと思ってましたが、その答えだと何となくモヤモヤした気持ちが残りました。そして、ある1つの仮説が浮かび上がりました。

魔法使いの兄弟たちは、兄弟みんなが一緒にいるから楽しいのではないだろうか...ということです。

というのも、魔法使いが魔法を使えるのは当たり前なので、彼らが冒頭のシーンでキャッキャしてるのは魔法が使えて楽しいのではなく、兄弟たちと遊んでいる姿をただ映しているだけなのだと思いました。

魔法が使えるのが当たり前と言っても、すえっこのふぁいぶは魔法をうまく使えません。しかしそれは幼いからであって、ゆくゆくは他の兄弟たちのようにうまく使えるようになるのでしょう。というのも、もしこの5人が同学年という設定だったら、ふぁいぶは落ちこぼれで、努力が足りないor不器用な性格or才能がないから等の理由で現在魔法がうまく使えていない...というキャラ設定になりますが、この5人は兄弟で、ふぁいぶはすえっこで、5年に1度の青い大満月の夜も初めてなのです。ふぁいぶは自分の魔法がうまく使えないことにがっかりするシーンはありますが、兄弟に嫉妬したり、自分は魔法使いなんだろうか...と自らのアイデンティティーを疑うようなシーンは無かったように思います。

ふぁいぶは自分のことについて、魔法使いだという確固たるアイデンティティーを持っており、魔法がうまく使えないのは幼いがゆえ、他の兄弟よりも経験が少ないから、ということを設定が物語っており、魔法をガンガン使いまくる兄弟たちと並べることで、いつかふぁいぶもこうなりますよ、という未来を約束しているように思いました。なので、ふぁいぶの『魔法がうまく使えないキャラ』はここではあまり重要ではないので一旦横に置いておきますね。

...で。兄弟たちの、夢がなくてもニコニコ楽しそうな理由が何となく分かったところで、ふと新たな疑問が出てきました。何でもやりたいことが叶ってしまう魔法使いたちが、5年に1度わざわざ外の世界(=魔法のない世界)に出掛けるのは何故なのでしょうか。

それはきっと、魔法が使えない人たちの、魔法を見て驚くリアクションが楽しいとか、そういう理由なのではないでしょうか。『暇を持て余した神々たちの遊び』というやつなのでしょう(超余談ですがモンスターエンジンのあのコントすごく好きでした!)。

もしくは単純に、たまには違う空気を吸ってみたい...というだけかもしれません。魔法を使うことは彼らにとっては息をするのと同じような行動なので、街をキラキラにするのも、特に意図してやっている行動ではないのかもしれませんね。ちょっとみんなで旅行に行こうぜ!くらいのノリなのかもしれません。兄弟5人一緒に居られれば、どこへ行って何をしても楽しいのでしょうね。それが何となく魔法使いたちの冒頭のシーンから伝わってきます。

...ということで、魔法使いの兄弟たちにとっては魔法は特別なことではなく、魔法を使うことよりも、兄弟一緒にいることが楽しいのであって、夢も想像力もない、何でも叶ってしまう世界でも、あんな風にニコニコしていられるのでしょう。価値観としては魔法<<<兄弟、なのでしょう。だからふぁいぶと青たぴを間違えて連れて帰ってしまい、兄弟たちは相当焦ったと思われます。そして、何でも魔法で願いが叶ってしまう夢も想像力もない世界で、魔法ではどうにもならない壁に兄弟たちはぶち当たります。それは、ふぁいぶを迎えに行くことが容易ではない、ということです。

ふぁいぶを置いてきた世界に行くためには、5年に1度の青い大満月の夜じゃないとだめなのです。青い大満月の大量の光がないと、あの船で外の世界を行き来することはできないのです。4人の魔法の力を以ってしても、青い大満月の夜にすることはできなかったのでしょう。そこで、何とか知恵を絞って大量の光を集めて、青い大満月の夜と同じような状況を作ることに成功し、兄弟たちは何とかしてふぁいぶを迎えに行くことができました。ふぁいぶのお迎えのシーンはほんの一瞬の出来事で、割りとあっさり描かれてますが、ここまで来るのに色々あったんだろうなあ...再会できてよかったねえ...と、あのシーンを思い返しては胸が熱くなりました。

他に印象的だったことといえば、ふぁいぶの表情です。今回の映画はゲストキャラとしてのふぁいぶにスポットが当たってますが、ふぁいぶの表情がとても魅力的だったことも印象に残ってます。特に、兄弟に置いて行かれて泣くシーンは悲愴感が生々しく伝わってきて、見てるこちらまで胸が張り裂けそうで、苦しくなりました。すみっコのメインキャラ4名(とかげちゃん除く)が基本的に無表情なので、よけいに表情豊かに見えるというのもありますが、ふぁいぶが泣いてるシーンは、この映画の忘れられないシーンの1つですね(もちろんふぁいぶには笑っててほしいですよ!でも子供向け作品で、しかも架空の生き物の泣き顔シーンで、あんなに生々しい感情表現をぶつけてくるとは思っていなかったので避け切れずに真正面から受け止めてしまい、結構ずしんと来ました)。



...長くなってしまったので、今日はここまで。次回(2)ではとんかつの魅力について、勝手に熱く語りたいと思ってます。

すみっコぐらしのことが好きなバンギャの駄文にお付き合いいただき、ありがとうございました!
では、一旦失礼いたしますm(_ _)m


※この文章を書いた時点ではまだ映画は1回しか見ておりません。初見の記憶を辿りながら書いた文章なので、色々と間違っている箇所もあるかもしれません。予めご了承下さい。