脳内ヴィジュアル系

好きなもの(主に音楽)への想いや出来事を、後日見返すための記録用として書いてます。

【記録用】愛だけがそこにある

あっちゃんことBUCK-TICK櫻井敦司さんのことを書こうと思います。

 

...と思ったら頭の中がぐるんぐるん回って何も書けなくなってしまった。

 

でも今なら書けると思うので、少しだけ書きますね。

 

わたしはBUCK-TICKのメンバーに関してはどちらかというと今井さんファン、今井さん贔屓の人間なのですが(何故ならギタリスト至上主義だから)、あっちゃんなしでは今井さんの才能を語ることは出来ないと思っています。今井さんは奇才ですが、その才能を引き出した要素の1つに間違いなくあっちゃんの存在があると思っています。

 

でもそれは「今井さんの頭の中にある世界を表現できるのはあっちゃんしかいない」みたいなことではなくて、お互いの波動がいい感じに共鳴し合って、誰も見たことのない新しい文化が生まれている...みたいなことです(ニュアンス)。

 

先月櫻井敦司さんのWEB献花に参加したのですが(わたしが)、WEB献花っていいですね。そもそもWEB自体が「さわることができないけど確かにそこにいる」っていう具体のような抽象のような、あるいはその中間のような、境界線がぼんやりした位置にありますよね(少なくともわたしにとっては)。

 

「死」そのものは、生きてる人間は誰も経験できないし、誰もそこへは行けません。しかし、確かにこの世に「死」は「存在する」んです。誰も死後の世界を見たことはないけど、「死」をいつか自分も経験することを、頭では分かっています。

 

WEB(というかインターネット)も、たしかにそこにWEBという空間があるけれども、そこにアクセスすることは出来ても、誰もそこに物理的に行くことは出来ません。でもWEBは確かに「存在する」し、そこは誰かとの交流の場になっているし、買い物をしたり音楽を聴いたり意見を交わしたり恋をしたり、様々な体験が可能です。WEBの世界に参加することが出来たとしても、我々の肉体はWEBにはいません。家のリビングや駅のホーム、あるいは職場、旅先...と、様々なところから肉体を飛び越えてWEBに参加しています。

 

文明の道具は基本的に肉体の機能の拡張だ...ということを、大学時代の恩師が言ってたことを今でも覚えています。自転車や自動車は足という機能の拡張であり、普通なら歩いて行くことが難しい距離でも、自転車や自動車によってそれが可能となります。写真は「その時間にその場所へ出向いて同じ景色を見る」という行為の代わりであり、カメラの機能がいいと肉眼以上に鮮やかにその景色を見ることが出来るので目の機能の拡張と言ってもよいかもしれません。電話も、その場に行って話すという行為の拡張です(体の機能でいうと足と耳と口なのかな)。電話というより、通信自体が足と耳と口(時には目やその他の情報を取り込む機能)の拡張なのだと思います。

 

インターネットは、人と人とのコミュニケーションを、物理的な距離を飛び越えて可能にするツールだと思っています。そしてツールであり空間でもある...と思っています。「WEB献花」では何が行われているのかと言うと、「死」という、生きている人間は誰も行ったことないところへ旅立った人を偲んで、「WEB」という誰もそこには行けないバーチャルな場所に人が集ってデジタルの花と生(なま)の言葉をたむけているのです。なかなか未来的な行為だなあと思いました。

 

WEB献花はそれまでにも前例があったのかもしれませんが、わたしはたまたま今回の件で初めて知りました。あっちゃんのWEB献花では、献花された方のお花の画像とコメントの一覧を見ることが出来るようになっています。お花の画像はあらかじめ用意されたものを選択します。生(なま)の花とは違い画像の花には冷たさがあるかもしれませんが、コメントは参加された方それぞれの想いが込められているため、読んでいると1つ1つのコメントの生々しさがものすごく伝わって来ました。ちなみに自分のコメントは他の方のコメントに埋もれてしまい、反映されてるのを確認出来ませんでした..更新のたびにものすごい量のコメントが載るので、自分のコメントまで遡れない、という意味なのですが(何を書いたかはメモが残っているから分かるけども)。

 

そうやってWEB献花された方のコメントを読んでいると、歴の長い短い深い浅い関係なく、ファンの皆様の側にはいつも当たり前にBUCK-TICKがいて、みんなそれがずっと当たり前に続くと思っていたことがよく分かりました。そして、わたしもその1人でした。

 

V系を愛するわたし(現在40歳)にとって、V系を好きになった高校生の頃からいつもあたりまえにそこにいるBUCK-TICK。そして櫻井敦司さんがBUCK-TICKのボーカルとして存在し続ける世界は永遠に続くものだと信じて疑いませんでした。そして世間でどんなに旬のイケメン、イケオジがもてはやされても「俺たち私たちには櫻井敦司がいるからな」「我々バンギャ&ギャ男は櫻井敦司を知っているからちょっとやそっとの美形では驚きませんけどね」という謎のプライド(本当に謎だけどね)がありました。

 

2023年10月19日、櫻井敦司さんがどうやらBUCK-TICKのライブ中に体調不良になりライブが中断された...というニュースを知った時、そういえば少し前に新型コロナウイルス感染2回目って言ってたよね、まだ体調が万全ではないのかな、あっちゃん美しいから実年齢忘れがちだけど人間界だともうバリバリ働く年齢ではないからそんなにライブ日程を詰め込まなくてもいいのかもしれないなあ、今回の体調不良を機にちょっと休んでほしいなあ心配だなあ...と思っていたところでした。

 

その日以降、BUCK-TICKファンの方々を中心に、名曲COSMOSの歌詞にハッシュタグをつけた「#愛だけがそこにある」でツイートする動きが始まり、みんなあっちゃんの回復を祈っていました。なかなか公式からあっちゃんの具合が公表されず、わたしも心配になりツイートに参加しました。いまもこのハッシュタグをたどると10月24日のある時間までは回復を祈るツイートが沢山残っていて、それを見ると切なくなります。

 

あっちゃんがもうこの世に存在していないことを公式が発表したあと、今井さんが出したコメントがものすごく印象的でした。わたしは10月24日が来るまで、ずっと不動のメンバーでBUCK-TICKがこれからも続くと信じて疑わなかったけど、今井さんはいつまでもこの5人で永遠にバンドをやることが不可能だということが元々分かっていたし、いつかこんな日が来ることも分かっていた...という内容のコメントを出しました。それを読んだわたしは打ちのめされるのと同時に「なんて強いんだこの人は...!」と惚れ直しました。

 

そして12月29日は毎年BUCK-TICKが武道館でライブを行っているのですが、2023年は「バクチク現象」というタイトルで、あっちゃん不在で行われました。そのライブのMCで今井さんがあっちゃんがもうこの世にいないことについて「悲しんでもいいけど苦しまなくていい」と仰ったことが分かり、その言葉がものすごくわたしの心に響きました。響きすぎて刺さりすぎて割れて木っ端微塵になるところでした(わたしが)。でもそれはわたしにとってhideに関するトラウマの話でもあり本題の趣旨から外れるのでまたの機会に書きますね...

 

あああ、やっぱりまだうまく言葉がまとまりませんね。散文具合がひどい。でも言葉を文章にして吐き出すという行為は絡まった気持ちの整理にもなるのでいいですね。

 

記録用に今の気持ちを残しておきたかったので、ひとまず今日はこのくらいにして、また続きはいつか書くことにします。読んで下さってありがとうございました。