脳内ヴィジュアル系

好きなもの(主に音楽)への想いや出来事を、後日見返すための記録用として書いてます。

【記録用】【映画】【RRR】Dostiは何故こんなにも尊いのか。

突然ですが、現在日本で公開中のインド映画『RRR』のことでずっと気になっていることがあり、その気になる点と解釈を私なりに考えてまとめて文字に起こしてみたら『アッアアアアア!!!ドスティーー!!!!!』と夜な夜な大合唱して大変興奮したのですが、絶叫しすぎて記憶が飛ばないように、忘れないようにブログに書き残すことにしました。

(ちなみにこの映画、日本で公開されたのが2022年10月21日で、2023年5月現在もまだ公開中っていうね...なんか凄いことになってますね。ちなみに私はまだ通常上映を3回見ただけです。)

以下、映画のネタバレを大いに含みますので『これからRRRを見ます!』ていう人は絶対に読まないで下さい。『これからRRRを見ないけど、ネタバレを読んだら見たくなるかも♪』ていう人も読まないことをオススメします。

では、読める方だけスクロールして下さいませ。

 


・・・・・

 


この映画の面白いところの一つに、メインキャストのラーマとビームが物語の途中までお互いの正体を明かしていない...というのがあるのですが、ビームが自身の正体を明かしていなかった理由は劇中で語られています。しかしラーマは何故、自分が警察官だということをビームに言ってなかったのでしょうか?

ビームのことを疑って、偵察するために明かしてなかったという訳じゃなさそうですよね。じゃあ何故...?

ということで考えてみた結果『ラーマにとってビームは友達だから』という結論に至りました。

ラーマはビームとの友情が癒しであり、使命に対する責任感やものすごいプレッシャーの中で、唯一人間になれる時間がビームとの時間だったのではないでしょうか。警察官というのはあくまでも使命を成し遂げるために必要な自分の一部であって、ラーマ自身は武器なんですけど、それでもやっぱりラーマも人間です。なかなか昇進できず怒りが爆発したり焦る中、ずっと現実だけを見続けていたら潰れてしまうはずです。たまには息抜きが必要だと思うんですけど、きっとビームに会うまでは、ネックレスを見つめながらシータを想う時くらいしかそういう時間(警察官ではない自分になれる時間)がなかったんじゃないかなあ...と思いました。

ラーマがデリーにいるのは使命のためであり、誰かと親しくなる必要なんてないのです。孤独や苦しみや悲しみを分かち合える友人なんて必要ないんです。そんなものは余計であり、誰かに親しくする時間があれば身体を鍛えて使命を遂行するための時間に充てるべきなんですよ。でも、そんな中でラーマは出会ってしまったんですよ、ビームに。そしてラーマは多分、ビームと居ることで癒されて、ビームと居るときは素の自分でいたいなと思ったんじゃないかな...と私は勝手に思ってます(異論は認めます)。

劇中で名曲「Dosti」に合わせて二人が友情を育むシーンが流れますけど、様々なシーンの中で、何かのタイミングでラーマは『実は俺、警察官なんだよ』とビームに言えそうなのに、言う機会もありそうなのに、意識してそれを言わないようにしてたんじゃないかな...と思います。

警察官っていうのはラーマにとって鎧のようなものだから、警察官じゃない自分を慕ってくれるビームっていうのは、例えて言うならクタクタになって仕事から帰ってきたら玄関先で飛び付いてきてくれる無邪気な犬...みたいな感じでしょうか(たぶんそう)。なので、ラーマにとってビームという存在は友人であり、癒しであり、自分の暴力的な部分を絶対に見せたくない相手と言いますか。『仕事の顔で会いたくない相手』って言うんですかね。その辺は明確に線引きしてそうだなと思いました。だから自分が警察官であることを言わなかったんじゃないかな...そして似顔絵のことも『ビームに見せる』という発想が出てこなかったんじゃないかな...と私は勝手に妄想してます。

あとはラーマがビームに特別な友情を抱いた理由として、英語ではなくインドの言葉でコミュニケーションが取れるからというのも大きい気がします(一口にインドの言葉と言ってもテルグ語等色々ありますけど、この頃の言語事情はよく知らないのであくまでも私の憶測です)。英語は警察官の身分と同じでラーマにとっては仕事の言語なので、多様な人が住む大都会デリーでは、英語以外で共通する言語を使っているというのは、相手との距離感を一気に縮める理由になる気がします。

だからビームの正体を知らされた時、壁をボコボコに殴ってましたけど、本当に身も心も引き裂かれるくらい辛かっただろうな...家一軒崩れるまで殴り続けてもおかしくないレベルですよね兄貴ならやりかねないですよね...と思いましたよね(今思い出してもつれえ)。

馬車に乗ってビームの前に現れたときも、その後もビームの顔を見ないようにしてましたけど、あのシーンまじで苦しいですよね。見てて辛い...でも葛藤する兄貴の美しい顔面よ...(最高だ)。

ひょっとすると『この時代の警察官はプライベートで一般人に身分を明かさないのが普通』とか、インドの価値観はこうだよとか、何かもっともな理由があるのかもしれませんが(もしくは監督がインタビューで答えてたりするのかもしれませんが)、以上はあくまでも私なりに考察してみた内容です。

もし『こういう明確な理由が公式から出ているよ!』という情報があれば教えていただけると嬉しいです(なるべく日本語記事が有難いですが、なければ英語記事でもいいです)。よろしくどうぞ。

長くなりましたが、ここまで読んで下さってありがとうございました。

 

※以下、5月7日加筆※

ふと思ったんですけど、ラーマはラッチュを見失ったことを後悔し、確実に捕まえるために(逃げられないようにするために)身元を隠して人探しをしてたってことですかね...だから『ここに警察官がいるぞ!』て騒がれたりしないために身元を隠す必要があったのかな(自己完結)。でも、ビームには二人きりの時に『お前だけには言うけど実は俺は...』って打ち明けてもおかしくないんですよね。でも、そうしなかったってことはやっぱりビームとの時間は『使命のために生きている自分』と区別してたのかな...と思ってしまうんですよ(再び深まる謎&無限ループに戻る)。実際のところ、どうなんですかね。あと10回くらい見たら何か掴めるのかな...